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2010年2月

競馬ファンって最高!

去年の11月、京都でエリザベス女王杯が行われる日に東京競馬場に観戦に行きました。その東京のメインは重賞ではなくオープンレースのオーロカップ。

いつものようにラスト200mの看板の辺りに陣取りレースに熱狂。恥ずかしげもなく大騒ぎ。本命馬が完勝するも馬券は外れ。「あちゃー!」「うーん、ちょっと悔しい・・・・・」などと軽く悶絶していると、同行した友人からこのレースに出走していたマイネルハーティーが止まってしまった事を教えられました。

彼は私達の目の前にいました。
苦しそうに左前脚を宙に浮かせて足掻いています。痛みで地に脚を着けられない。

この時、東京競馬場の残り200mの看板付近の空気は凍りついていました。
この場所にいたほとんどの人がマイネルハーティーに今何が起こっているかを瞬時に理解し、最悪の事態にだけは至って欲しくないと見守っているように感じました

まもなく京都でG1エリザベス女王杯が行われます。巨大オーロラビジョンにはエリザベス女王杯の発走前の様子が映し出されますが、私の周りの人はマイネルハーティーをジッと見守り続けています。

馬搬車が横付けされ、係員がマイネルハーティーを乗せようとしますがうまくいきません。故障した脚も使わなければ上がれないだけに、見ていてもとてももどかしく、そして痛々しい・・・・。
その時、少し離れた左側にいた人が思わず、「頑張れっ!!!」と声に出して励ましました。この声に励まされてか、馬搬車にようやく乗る事が出来、運ばれて行きました。

もちろん馬搬車に乗る事が出来たからといって拍手をするような人はいません。
500キロの巨体をバランスよく4本の脚で支え、立つ事ができてはじめて生きることが許される、地上で最も走る事に適した形をしている生き物であるサラブレッド。その大きな体に不似合いな細い脚は速く走るためだけのものであり、常に故障と隣り合わせ・・・・、そして故障が即座に命にかかわってしまう生き物。

この命にかかわる故障をしてしまった競走馬を目の前にしてしまった人達、休日に娯楽として競馬場に来た人達の誰もが、惻隠の情をもって見守り、漂っているのは暗然とした重々しい空気・・・。思い余って声に出して競走馬を励ます人までいます。興味本位でこの光景をケータイのカメラで撮ろうとする輩は一人もいません。

これは凄いな!


とまあ、ずいぶんきれいな記事を書こうとしていますが、以前の私は競馬に対して全くいいイメージを持っていなかった事を白状しておきます。

ダービーや天皇賞や有馬記念の映像がニュースで流れるのを見たことがありますが、よくもまあ、あんな人いきれのする場所にわざわざ出向くものだなと。やっている事は賭け馬に多額のお金を賭けて、その賭け金が何倍かになるように必死に賭けた馬を応援する事くらい。
サラブレッドは人間の金銭への欲が生み出した不自然な形をした可哀そうな生き物。才能がない(賞金を稼げない)と分かれば人間の都合で簡単に淘汰されてしまう運命。
こんな可哀そうな生き物を生み出してしまった上に、鞭で容赦なくビシビシ叩き賞金を目指すのが競馬。そんな競馬に対して夢だのロマンだの求めるのはどうしたものかと。

競馬ブログではあり得ないようなくだりになってしまいましたが、これは偏見。当時の私の未熟さ、浅薄さがもたらした考え方でした

仲の良い友人(A君)が社会人になり自由にお金を使えるようになったので、WINSに出向いて馬券を買うようになりました。かなり競馬に傾倒しているようで私に嬉しそうに競馬の話をします。
嬉しそうに話すので、こちらも楽しい気分になりますが、当時の私は上に書いたような偏見を持っていましたので、どこかスッキリせず、しかもA君はこの後も付き合いが続きそうな友人、できるだけ柔らかい言葉でこのあたりの競馬についての考え方を訊いてみました。

A君はちょっと間を取った後、(この間、しまった!競馬好きな友人に対して何とも興味本位なバカな質問をしてしまったと後悔。)丁寧に答えてくれました。

牛や豚や鳥はその肉(命)を差し出したり、生涯乳を絞り取られ続けたり、卵を産み続ける事で人の役に立つ。今の社会ではそのように生まれついている。競走馬は肉や乳や卵の代わりに精一杯走る事で多くの人を喜ばせてくれる。今の社会ではそのように生まれついている。この2つの事はそれほど変わらないという内容でした。
確かに賭け馬になり、賞金稼ぎの道具にはなるが、人間が犠牲になってくれた馬に対して感謝の気持ちを持っていればそう悪いものではないと付け加えました

これは私にとって正鵠を射ている回答、A君の考え方は哲学ですらあります。そして私の競馬に対しての偏見を吹き飛ばしてしまうのに十分なものでした。

この考え方は単なる人間のエゴなのかもしれませんが(おそらくそう)、生き物とは常に弱肉強食の中にあります。これは太古から変わる事のないルール。強い者は「食べ」、弱い者は「食べられる」。人間が特別強ければ、他の生き物はすべて「弱肉」になります
人間は食物連鎖の頂点にいると言うだけは足りないくらい飛び抜けた存在です。「弱肉」に対して肉以外のモノも求めるようになりました。馬は移動、輸送や軍事の手段として、鶏は卵を産む存在として、犬は狩猟のパートナーや番犬として(最近では愛玩動物として)、猫は老人の日向ぼっこの相手として(?)・・・・・などなど。

動物愛護の精神など人間の動物に対する良心に関わる部分をすべて除いて、非常にドライな目で現在の状況を分析すれば、人間は明らかに特別な存在で、他の動物に対して完全なる生殺与奪の権を有しています。生かすも殺すも人間の都合、人にとって有益なら生かす、無益なら生かさない。
肉がおいしいからこそ豚は生かす、ペットとして都合がいいからこそ犬や猫は生かす。そして人が乗れて速く走れる生き物だからこそ馬は生かす。
人が食べらないような味の肉を持つ豚は生きられない、人に気に入られない容貌や気性を持った犬は生きられない、人を乗せられないほど気性の悪い馬は生きられないという事です。

よりおいしく食べられるように豚を品種改良たり、アナグマを捕まえるのに都合がよいように犬の脚を短くしたりするのと同じように、馬もただ速く走れる事を目的に人間の手で形が変えられました。それが競走馬。
人間が競走馬に要求するのは速く走れる能力なので、その能力に欠ける馬は人間にとって無益、つまり生きられないという事になります。

まったく酷い話でですが、これは人間が支配する世界の実際のところ
以前の私と同じような偏見を持っていて、競馬を批判する人は、同様に畜産業者を批判しなくてはなりません。そうなると菜食主義者になるしか・・・・。

賭けの対象として動物を使っている事に納得がいかない人もいるでしょうが、どこの国でも馬を乗り物として所有するようになれば、必ず誰の馬が一番早く走れるのか比べてみたくなります。近代競馬と言えるものは数世紀前からですが、馬を競わせる、速く走れる能力比べをするとなると紀元前まで遡ります。
おそらくこれは人間の根底にある欲求

速く走れる馬を競わせたい、その姿が見たいと思う気持ちはこの先の無くならないでしょう。馬を競わせるスポーツはもはや人間の作り出した文化!動物愛護団体が相当に力を持たない限り競馬は無くならないと思います。
昔のように杭(ステークス)に馬主がそれぞれお金を置いて所有馬を競わせ、一番速く走った馬の馬主が総取りすると言ったようなほのぼの競馬は無理でしょうから、やはり賭けの対象として大がかりな組織絡んで、賭けの売上金を賞金に回すしか方法はないと思います。
くだらないギャンブルと考える方もいるでしょうが、このギャンブルが伝統ある人間の文化の存続に大きな役割を果たしています。同じギャンブルでも競艇や競輪とは別趣のものだと考えています。

結局、A君の感化を受けて、競馬ブログを書くほどの競馬ファンになってしまったのですが、まだにわかファンです。

そのA君の事ですが、彼はステイゴールドの大ファンでこの馬の出走するレースには必ずと言っていいほどWINSまで馬券を買いに行って応援していました。引退レースの香港ヴァーズ。「黄金旅程」のゼッケンをつけて最後のレースで初のG1制覇!相当感動したらしいのですが、海外レースで見に行けなかったを悔やんでいました。
そしてステイゴールドの引退式を前にどこかの雑誌で面白い企画あったようです。
「ファンがそれぞれ小さな布にメッセージを書き入れて、それを編集部に送れば、これらを繋げてパッチワークのようにし、ステイゴールドが引退式でまとう」
これは素晴らしい企画!!!
A君がこの企画に応募したのは言うまでもありません。

ある日A君が競馬雑誌を持ってきて、興奮気味に私にその競馬雑誌の1ページを見せてくれました。ステイゴールドの写真が載っていましたが、あたたかみのある不細工な(失礼)パッチワークの大きな布をまとっています。A君の送った布はその写真のど真ん中!一番目立つ所に組み入れてあったようです。
A君だけでなく、この小さな馬体ながら常に一線級の馬を相手に多くのレースを走った名馬を好きだった人は多いと思います。長く楽しませてもらったお礼を言葉を!と小さな布にメッセージを書いて送った人こそ真の競馬ファンなのでは??

かなり前にこのブログにコメントを書いてくれた方が、馬の写真を撮って自身のブログに載せていました。彼の撮る写真は一流馬ではありません。馬と騎手と関係者、それが一つの写真におさまっていて、馬と人の織りなす文化という雰囲気が非常によく出ていました。写真を撮る技術が高い事は言うまでもありませんが、彼の写真には馬に対する愛情のようなものを感じてしまいました。(ブログは去年の10月に終わってしまい、「新作」が見れなくなったのはとても残念です。)

牛や豚、鳥、魚など実際に肉を提供してくれる生き物に対して感謝をしながら食している殊勝な人はほとんどいないでしょう。これらの動物に比べれば、精一杯走る事でそれを肉として提供している競走馬は扱いがいいような気がします。
(才能のある競走馬だけかもしれませんが)その馬に思いを込めている人もいますし、その走りに涙を流す人までいます。引退すれば、「御苦労さま」と言い、故障して命を落とした時には「感動をありがとう」「ご冥福を祈ります」と書き込む人もいます。

故障したマイネルハーティーに対して「頑張れ!」と声に出して励ました方、ステイゴールドの引退の時の企画でありがとうのメッセージを入れた布を送った方、競馬場に行き趣味で愛情溢れる馬の写真を撮り続けた方、その他ブログなどで競走馬について熱く語っている方など競走馬が大好きな人達・・・・・・。

競馬をはじめてから気付いたことですが、単にギャンブルだけが好きな競馬ファンも確かにいます、しかし思っていたよりずっと馬が好きな人が多い!!馬の身になって考えられる方までいます。これは凄い事です!!

私も競走馬には故障なく、なるべく苦痛もなく生涯を送って欲しいと思う気持ちを持ち合わせているつもりですが、上に書いた人に比べればほんの少しです。
競馬ファンは凄い!それなのに、「趣味は競馬です」なんて言うと、「なんだ、ギャンブル好きか」となってしまう図式は納得いきません。(笑)

競走馬は生まれ落ちた時点で過酷な十字架(細いガラスのように脆い脚で精一杯走って結果を出さなければ苛烈な競争社会で生き残れないという十字架)を背負わされる訳ですが、それを見守るファンの中で競馬をギャンブルと切り離してなお、競走馬に愛情を持っている人が多いならば、やはり競馬は良質な文化としか思えません。

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